「一谷嫩軍記」@国立劇場

遅くなりましたが、国立劇場で観た一谷嫩軍記の感想です。


98年ぶりという「堀川御所」と、昭和50年以来という「流しの枝」、その後がお馴染の「熊谷陣屋」という構成。


堀川御所は、30分ほどの短い場面で確かに無くてもいいようなものなので長らく上演されなかったのも納得なのですが、面白い点もあったので、今回見ることができてよかったと思いました。


義経というと、悲劇の御大将で情があってというイメージですが、この場面では、舅の平時忠に平家を裏切らせて三種の神器を手に入れたり、敦盛を助けるために一枝を切らば一指を切るべしの制札を熊谷に渡し、目的のためには非情な手段も取る冷徹な戦略家の一面を見ることができました。


ここでの熊谷は黒の烏帽子大紋姿。いつも見ている熊谷と衣装が違うだけで印象が違うのが面白く感じました。團十郎が大きく立派で強い武士らしい雰囲気に見えました。
義経から制札を渡される場面で熊谷は、何だろうという感じでしばし不審な表情で考え込んだ後、はっとしたような表情に。
驚いたというより、義経の深謀遠慮に感じ入ったという表情に見えました。團十郎は目が大きいのでその表情の動きがよくわかりました。


この場面があるおかげで、後の陣屋の場面がわかりやすくなりました。特に今まであまり気にもしていなかった、「先つ頃、堀川の御所において六弥太には忠度の陣所へ向かえと、花に短冊、まったこの熊谷には、敦盛の首討てよとて、弁慶執筆のこの制札、」というセリフの意味が明確にわかりました。


残念なのは三津五郎義経と六弥太二役なので、この場面には六弥太が出てこないことです。
ここを発端にふたつの物語になっていくことを見せるには六弥太もいた方が見た目にもよかったような気がします。プログラムには国立劇場文芸課の補綴のことばとして、「六弥太をカットしたのは、原作では、義経が六弥太へ山桜の流し枝を渡す時に詠歌の採否が明らかになりますが、次の場面への期待を膨らませて舞台効果を高めたいと考えたからです。」と書かれていましたが、ちょっと言い訳っぽい感じがします。



続いて流しの枝。
ここは忠度と林が出会う場面がないので、後で忠度が突然出てくるのですが、せっかく陣屋は入り込みがあるのだからこちらも丁寧にやってくれた方がよかったと思います。
團十郎の二役目の忠度は白塗りで意外と高貴な雰囲気が出ていましたが、やはり平家の公達というのはあまり似合いません。
前回出たのが昭和五十年で、そのときは忠度を孝夫時代の仁左衛門がやったとのこと。きっと仁左衛門なら風情あるいい忠度だろうと思いました。


素手での立ち回りの場面では、軍兵が天井に逆さにぶら下がって、そこに團十郎が手を添えて、持ち上げているような見た目の見得がちょっと変わっていて面白かったです。

彌十郎は大きななりをして困った息子という雰囲気がよく出ていて面白かったです。ただ、この場面だけだと何のために出てきたのかわからないですね。三津之助が飄々としたおかしみを見せていてうまかったです。門之助が古風でけなげなお姫様の風情でよかったです。


三幕目、熊谷陣屋は相模、藤の方、梶原、弥陀六が陣屋にやってくる入り込みがあるので、人物関係がわかりやすかったです。普段のやり方だと、藤の方も梶原も弥陀六も唐突に出てくる感じがして観劇初心者には筋書かイヤホンガイドがないとわかりにくいので、今後も入り込みを付ける方がいいのではないかなと思いました。幽霊の講釈の部分も義経のセリフがあったのでわかるようになっていたのはよかったです。

團十郎の熊谷は武骨で骨太な感じ。最初の花道の出も、そんなに思い入れがなくサラリとした感じに見えて、吉右衛門とはタイプは全然違いますが、熊谷の人物の大きさが見えていい熊谷でした。

首実検で義経に首を見せるところで、歌舞伎座さよなら公演のときに観た吉右衛門は首をグっと義経に突きつけるような形だったと思いますが、團十郎はそうではなく、胸のあたりに抱えるような形だったので、ちょっと違うんだなと思っていたところ、十三代目仁左衛門の「とうざいとうざい」という本にこんな記載を見つけました。



実験は「御批判いかがァ」ときっぱりといい、右手で首の髻を持ち左手で下を支え、右膝を立て、胸と腹の間くらいの位置に身体につけるようにして見せます。十分に腕をのばして義経に首を差しつける人もありますが、この実験は熊谷にとって大変なことなのです。というのは制札の意をくんでわが子を身代わりに討ったが、義経にとってこれでよかったのか。よかったとしても梶原もきているし、もし身代わりの首と義朝の方に知られたら、これまた大変なことになるというわけで、堂々と差しつけるという心境ではないと思うのです。


なるほど、と思いました。


最後の花道の引っ込みも團十郎らしく、無理に感情をこめるというよりは素朴な自然な感じで、さよなら公演のときの吉右衛門のような、こちらが号泣させられるような感動ではなかったのですが、じわじわと感動がわきあがってきました。

でもやはり肚での芝居がそんなにうまい役者さんではないので、団十郎型ではなく、派手な芝翫型で観たいと思いました。

三津五郎義経はが情もありつつ、冷徹な部分をうまく表現していました。
「じいよ、満足満足」のあたりのセリフも変に砕けすぎずにうまかったです。


魁春の相模は、初役とのことですが、上品で抑えた演技で、首を抱えて懐紙で拭くところに涙を誘れました。
東蔵の藤の方は品があり風格がありました。
巳之助の軍次がきっちりと勤めているところが好感が持てました。将来は義経や熊谷をやることになるのでしょうから頑張ってほしいです。


全体としてはこういう構成で上演した意味はあったと思いました。長らく上演頻度の少なかったものが、役者の工夫や演出次第で人気演目になるということもあるので、「流しの枝」は誰か別の役者さんにまたやってもらいたいです。


国立劇場開場45周年記念


並木宗輔=作
国立劇場文芸課=補綴
「一谷嫩軍記」(いちのたにふたばぐんき)  三幕
      -流しの枝・熊谷陣屋-
             国立劇場美術係=美術


       序 幕 堀川御所の場
       二幕目 兎原里林住家の場
       三幕目 生田森熊谷陣屋の場

 熊谷次郎直実/薩摩守忠度 市川團十郎
 九郎判官義経/岡部六弥太忠澄 坂東三津五郎
 林の倅太五平/白毫の弥陀六実は弥平兵衛宗清 坂東彌十郎
 五条三位俊成娘菊の前 市川門之助
 堤軍次 坂東巳之助
 梶原平次景高 片岡市蔵
 菊の前の乳母林 坂東秀調
 平大納言時忠 市村家橘
 経盛室藤の方 中村東蔵
 熊谷妻相模 中村魁春