11/24、11/27、11/30 末広亭 講談 神田松鯉

末広亭下席の赤穂義士伝は結局4回行きました。


24日は神埼詫証文。
神埼与五郎が江戸へ下る途中で馬子の丑五郎にケンカを吹っかけれて、江戸へ行くのが遅れてはならないので、詫び証文を書いたという話。
2年後に講釈師がこのあたりに来て、赤穂浪士の話を語ったときに討ち入りの場面で神埼与五郎という名前を聞いて丑五郎が初めてあのときの人が赤穂義士だったことに気づき、後悔して頭を丸めて泉岳寺の墓前で謝る。この赤穂浪士と判明した瞬間の丑五郎と墓前での様子がとてもよかった。


27日は、大高源吾。
橋の上で身をやつした大高源吾と宝井其角が出会って歌を詠み、羽織をあげるのは歌舞伎の松浦の太鼓と同じ。
その後、松浦候の屋敷へ行って経緯を話すと、松浦候は気付いて、明日大変なことが起こるかもしれないぞと示唆するけれど、其角はわからずに家に帰る。翌日、土屋主税の屋敷で行われる催しに行って門の近くに宿泊し、隣で討ち入りをすることを知らせに来た大高源吾と句を読みあうという話。


最終日は、義士勢ぞろい。討ち入り当日、一度に大ぜいが集まると目立つということで、堀部安兵衛加賀藩の火消しになることになって、そば屋の二階に加賀の火消しが集まるという嘘をついて集まる話。そば屋の主と大高源吾の句についての会話が面白い。大石が立派な重厚な人物な雰囲気でよかったです。